前記事でもふれましたが、家庭でテレビをどうあつかうかは、子どもの教育にとってかなり重要なことです。
「食事」は大切なコミュニケーション
日垣隆氏は、そのとんがった子育て論を記した「父親のすすめ」のなかでこう説きます。
これをやっておかないと、あとで大変なことになります。
大変なことになってしまっている、ということにすら気づかない場合も多いので、とりわけ注意が必要です。なぜ、食事中にテレビをつけてはいけないのか。
それは第一に、食事を作った人(作ってもらった人)に対して失礼だからです。
第二に、注意力が分散され、味覚が発達障害を起こしやすくなります。
第三には、食事を楽しむ習慣が培われません。食材を監察することもなければ、料理法に関心も向かないでしょう。感謝の気持ちも湧き出ません。
第四として、ゆったりとした食事のなかで会話を交え、社会勉強を広げる機会が失われます。聴覚が散漫になってしまうからです。
第五にもともと食事が生存競争の場であるという認識が芽生えず、免疫力やサバイバル力がまったく育成されません。
私の子ども(小学4年生)の話によれば、まわりの友だちの家庭はほぼ9割の確率で、食事中にテレビを見ているそうです。
自分の家で食事中にテレビが消されている話をすると、驚かれるそう。
それくらい、現在では四六時中テレビがついている家庭が多いのでしょう。
ウチでは、子どもが生まれてからは食事中には一切テレビはつけていません。子どもが生まれる前はどうだったか忘れましたが。
そのルールを作ったのはもちろん私です。
その理由は、食事中の会話というのは人間のコミュニケーションのなかでも、かなり重要な位置を占めていると考えたからです。
成人すれば、親しい友人知人や親しくない仕事関係の人まで、人と食事の席を同じくする機会はだれにでもあります。
人は、あまり親しくない人と食事するときは、注文したあとに待つ時間や食事中にどういう会話をするかで、その人の人格や見識を計ろうとするものです。
子どものうちから家庭できちんと会話しながら食事をすることによって、食事中の最適な話題選択や、食事中の会話ではどれくらい細部まで話すのが適当なのか、ということを経験できます。
テレビを見ながらの食事は、会話をしようとしても注意力散漫になりがちです。
最近とんかつ屋でショッキングな光景を見かけました。
20台前半とおぼしき若者が6人で一つのテーブルに座り料理をまっていました。揃いの作業服だったので同じ職場の仲間なのでしょう。その6人が一言の会話もなく全員スマホや携帯を見ていたのです。
よく食事している家族連れで、待ち時間に子どもが携帯ゲームをしているのを見かけます。
小さい子どもならまだしも、中学生や高校生までもが、食べる前にゲーム。食べ終わってからもゲーム。
なにか人とのコミュニケーションを拒否しているかのようです。
小さい子は待つ時間はおとなしくしていられないので、スマホで何か見せたりしてしまいがちです。しかし、幼少期から食事前の待ち時間や食事中は、ゲームやスマホを見るものではないということを覚えさせることが必要です。
必要なのは親の決意
これは社会問題として(結果的に他人事にしてしまう)ではなく、あなたの家庭の問題として考えてください。
子どもが小学五年生とか高校一年生になって、父親が「食事中くらいテレビを消しなさい」と言ったのに、子がそれにすぐに応じなかったら(こういうことは実際によくあるのです)、もう力関係は崩れつつあり、すでに家庭的地獄が始まっています。もう取り返しはつかないかもしれません。
食事中にテレビを消させることができない親は、その後に相当苦労します。命じたことが実行されない、という悪循環に陥っていくからであり、
それはしつけの破綻を意味します。
社会でも既得権益が絡む改革は猛烈な反対にあうように、一度与えていた権利を取り上げるのは子ども相手といえども大変な労力を要します。
中学生くらいになっていたら、幼少期から続けていた習慣を変えるのにはそうとうな抵抗にあうでしょう。
しかし、日垣氏の言う5箇条をはじめ、コミュニケーション能力の発達のためには、食事中のテレビは百害あって一理なしです。
「誰と食事しようともスマホを見続ける人間」「会話の苦手な人間」になって欲しくないなら、食事中だけはテレビは消すルールを徹底させなければなりません。
いつでもテレビをつけっぱなしの家庭も多いと思います。テレビを消してみると部屋の中がとても静かに感じるものです。
シーンと静まったなかで会話を交わしながら食事をするのも良いものですよ。